01
小さな頃から、箱の中で見るヒーローが憧れだった。
襲い来る脅威から人々を助ける。自分の正義から目を背けず、前に進んで行くその背中は、小さい頃ながらにとても格好良いものだと、そう思っていた。
いた、ではない。今でも思っている。
わたしには年の離れた兄が一人いて、わたしをいつも励ましてくれた兄の背中こそわたしにとっての一番身近なヒーローだった。
兄は能力と言われる力を生まれつき持っていて、植物の成長を促進する緑の能力だった。兄は、その能力を使ってよくわたしの好きな花を咲かせて、見せてくれた。小さい頃気が落ちていたり、弱音を吐くわたしに笑顔をもたらしてくれていた。
わたしとは真逆の能力。
わたしも生まれつき能力を持っていたが、俗に言う能力の「色」と呼ばれる属性こそ同じで、系統も似たものとはいえ、兄とは真逆のものだ。
兄が成長を促す能力であることに反比例した、植物を退化させる能力。
わたしでは成長を戻し、なかった事にする事しかできなかった故に、成長させる兄の能力というものは、とても眩しく映ったものだ。
そんな箱の中の英雄の背中、そして身近な兄の背中に憧れたわたしは、やがて自分も人を助けたい、人の助けになりたい。と、そう思うようになった。
能力を持っていた事もあり、最も身近に感じた人助けに関われる仕事。
討伐団。
近年、森や洞窟、果ては街の外れ、裏路地など人気がない場所に、ある生物……もとい、通称「魔物」が発生するようになった。
姿は獣の様な形から、植物の様な形まで様々。且つ人を襲う習性がある。
大きい個体は勿論、小さい個体でも――例えば野良犬だって、人間に敵意を向ければ十分危険な生き物となるのだから、魔物なんて殊更――十分脅威となる。
故に危険視され、やがて国から討伐される対象となった存在。
その魔物を討伐する組織こそが討伐団。
そしてこの日本には、丁度その魔物を討伐する人を養成する学院、討伐団養成学院が存在している。
討伐団に入るためには討伐団養成学院を卒業する事が義務であり、夢として抱いたために、学院に入る事を決意した。
兄からは反対され、両親からも良い反応をされなかったが、理由を話して必死に説得した。すると、今まで忙しさを理由に甘やかしてあげられなかったから、それがやりたいのなら。といくつかの条件と共に了承を得て、自分は晴れて討伐団養成学院へ入学する事となった。
そうして学院生になった今でも、ヒーローに対する憧れと尊敬は消えることも変わることもなく、今でもわたしの中心に、柱として立っている。
「お兄ちゃーん、朝ごはんできるよ、起きてー!」
ありふれた広くも無い、かといって特段狭いわけでもないアパートの一室で志織の声が響き渡る。
壁の薄さを当初は心配したが、意外と厚いらしい事が発覚してから特に気にする事はなくなった。
「んー……あと五時間……」
「遅刻どころじゃ済まないよ、起きて起きてー!」
志織の兄である新介は朝に弱い。
条件の一つとして新介も学院に入学する事、そして新介と共に暮らす事を提示された志織は、それこそ新介を説得する事に対して苦労すると覚悟したものだが、新介は意外とあっさりついてきてくれる事となった。
志織としては巻き込んでしまった事に申し訳なさもあったが、新介にも思うところがあったのだろう。
未だに布団で丸くなっている新介を揺り起こそうにも、新介が動く気配はない。
「もー、起きてくれないお兄ちゃんなんて──」
嫌い。
そう続けようと志織がそこまで言った瞬間、続きの言葉を聞きたくないとでもいうかの様に、今までの姿は何だったのかと言いたくなる程の早さで新介ががばっと起き上がった。
悪夢を見た人のように目を見開いて、息を荒くさせながら志織を見てくる姿に、志織が小さく笑いながら声をかける。
「おはよう、お兄ちゃん」
「……おはようしーちゃん。頼むから、頼むからその先だけは言わないでくれ」
「言ってないよ。ほら、起きて顔洗って」
そう、新介は自他共に認めるシスコンだった。志織自身もそうは認識しているものの、特に気にしているわけでもないが。
洗面所へと向かう新介の背中を眺めながら新介が寝ていた布団を畳み、押入れに突っ込む。
毎朝起きない新介を起こす術を色々と考え、一番迅速に起きてくれる方法こそが今実践しているものなのだが、如何せん毎朝ああやって慌てて起きる新介を見るのは志織としても多少心苦しい。
漫画やアニメなどでよく見かけるフライパンとおたまで起こす手法でも使ってみようか。
しかし、それではフライパンとおたまが傷付きそうだな、というところまで考え、やめた方がいいかと結論付ける。
「あっ、やば。目玉焼き!」
未だにフライパンで熱されている朝食を思い出した志織は、慌てて台所へと向かうのだった。
「二年目になって一ヶ月経ったけど、そっちはどう?」
あの後慌ててフライパンに駆けつけたものの、考え事のせいでむなしくも少し焦げてしまったベーコンエッグをかじりながら、志織は向かい合って同じように朝食を取る新介に問いかけた。
問われた新介が口へ味噌汁のお椀を運んでいた手を止めると、少し空中に視線を彷徨わせる。
志織と新介は学院に入学して、はや二年目に突入していた。
開いた窓から五月の風が入り込み、志織の髪を揺らす。
「まぁ、特に変わりはねえな。相変わらずイチカは淡々としてるし、さやかはうるせえし」
「ふふ、お兄ちゃんのチームは目立つよねぇ」
「俺は目立ちたくないんだけどな」
「巻き込まれてるのよく見るもんね」
悪態こそつくものの、表情はどこか優しい新介にくすりと笑いが漏れる。
見た目こそ、鋭い目付きに厳しい顔つきの如何にも典型的な不良のような新介だが、面倒見が良いのは昔からだった。
「そう言うしーちゃんはどうなんだよ。あんまチームと仲良くって感じじゃねえけど」
「あー、うん。みんな気難しくて、中々ね……」
新介から投げかけられた疑問に、あいまいに笑って返す。
そういえば今日はチーム同士での対抗戦があったな、と思い出して、志織は一つ大きな溜め息をつきたい気持ちに駆られた。
「ま、のんびりで良いんだよ」
「そうだね。分かり合えると良いんだけど」
テレビの中のアナウンサーが、今日の天気を伝えている。どうやら今日は午後から雨が降るらしい。
折り畳み傘はこの前使って干した後出したままだから、後で鞄にしまわないと。
新介がテレビを見ながら朝食を取るのを眺めながら、志織は味噌汁を一口啜った。