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「沙綾ちゃん、左!」

 つる状にした右腕で魔物を締め付け、太目の枝を折るように魔物の首の骨を折った沙綾の隙をつくように、左の草むらから魔物が飛び出してきたのを見て、観月が慌てて叫ぶ。
 集中、想像。どこかの自分が、心の中で冷静に呟く。落とすこと。響く声に従って、食い入るように沙綾を狙う魔物を見た。
 パズルのピースがぴたりと嵌ったような感覚がして、沙綾に飛び掛かろうとする魔物はまるで引っ張られるかのように地に伏した。
 しかしそれも一瞬の事で、観月の能力から解放された魔物はすぐに体勢を立て直した。
 沙綾を襲おうとしていた魔物は腹が立ったのだろう、邪魔をしてきた観月の方へと向き直る。どうやら目標を沙綾から観月へ変更したらしい。

「グェッ!」

 だが、それは叶わなかった。沙綾が変形させた左腕が魔物に絡みつき、首を絞められた魔物が苦しげに声を漏らす。続いてゴキンという音が辺りに響き渡り、首から先が力無く垂れた魔物が塵となって消えた。
 沙綾がそれを確認すると、沙綾の左腕は元に戻る。両腕を元に戻した沙綾は、首だけを観月の方へと向けた。

「観月、大丈夫か!?」
「だ、大丈夫……!」

 観月の返事を聞いた沙綾は一つ頷いてまた前に向き直る。
 続けて魔物が出てくる気配はない。弱い敵の足止めとして動いているチームメイトのほか二人の様子を見ようと、観月が周辺を見回すと、透真と竜斗の戦闘も落ち着いたようで、二人とも戦っている様子はなかった。
 少し離れてしまうだけで大分視界が悪いため、二人の様子を確認するのがやっとであるこの場所では、五十嵐というチームの加勢に向かったチーム名決まらんの様子はうかがえない。緑に覆われ、隠されてしまっている。

「夕介くん達、大丈夫かな……」

 観月の口から不安が漏れる。沙綾は周囲に気を配りながら、観月の方をちらりと見、笑う。

「大丈夫だよ。彼らはアタシ達よりも長くこの戦いの場にいるんだ」

 沙綾の言う通りだ。不安があるとはいえチーム名決まらんは竜斗を除く観月たちチーム黒白よりも先輩だ。一チームだけならまだしも、他にまだ戦っているチームもいる以上きっと問題はないだろう。

「だから、こうして邪魔をさせないようにアタシ達が頑張らなきゃ、な!」

 沙綾が言い切ると同時に草むらの中に変形させた腕を伸ばしたと思うとギャッという短い悲鳴が聞こえ、植物と化した沙綾の腕が少し揺れる。
 少し離れた草むらから黒い塵が空中に躍り出るのを確認して、沙綾は伸ばした腕を元の長さに戻した。
 沙綾の言っている事は正しい。今は心配するよりも、まずは我が身を、今出来る事を優先するべきだ。
 観月がそう思った時、ぐらりと視界が大きく揺らいだ。倒れそうになるが咄嗟に右足を突き出し、なんとかバランスを保つ。
 眩暈に次いで、こめかみのあたりがわずかに痛み出した。ツキンと主張してくるそれを無いものであるように努め、前を見る。
 どうやら沙綾は周囲の索敵に集中しているのか、観月の様子には気付いていないようだ。
 お願い、もって。ここで足を引っ張りたくないの。観月は心の中で呟く。
 すると、観月の様子を見ていたのか、観月が不調である事を感じ取ったのか、観月のすぐ近くの草むらがガサガサと音を立て、揺れた。

「ぃやっ……」

 声も、悲鳴も上げきる暇もなく草むらから影が飛び出した。観月の目には、そこから全てがスローモーションに見えた。
 飛び出してきた魔物は、今回の実践演習で倒すように指定されている魔物だ。頭の役割をしているだろう実と、その下に生える短い茎は根本より少し上を切断された状態で、茎をまるで蛇のようにうねらせ、強く地面を蹴ることで飛びついているようだった。
 実についている口は大きく開き、観月に噛みつこうとその中に生える鋭い牙をいくつも覗かせていた。
 ──もし失敗したら。
 ふと、観月の頭の中をその一言が掠めた。今まで集中していた糸が切れたのか、この状況になって脳がフル回転しているからか、今まで抑え込んでいたものが耐え切れずに漏れ出たのか。観月にはわからない。
 能力を発動させようとする前に一言漏れたそれは、恐怖感となり、観月の体を強張らせ、頭の中を支配した。
 観月の頭が、体が、支配されている間にも時間は進む。
 瞬間、観月よりも大きい影が魔物と観月の間に割り込んだ。

「観月!」

 遅れて聞こえた声は間違いなく沙綾のもので、沙綾の声で観月が正常な判断を取り戻した頃には、魔物の口が沙綾の右腕を捉え、多数の牙が沙綾の右腕に食い込んでいた。

「沙綾、ちゃ──」

 観月が沙綾の名前を呼ぼうにも声は震え、最後まで言葉に出来ない。
 沙綾は痛みに顔を顰めながらも、冷静に噛まれた右腕を植物に変え、魔物に巻き付けると、魔物の頭に変化させた左手の爪で突き、そのまま切り裂く。
 魔物の体が小刻みに震え、右腕から口が離れたところを、沙綾が右腕で勢いよく樹に叩き付けるように投げ飛ばす。
 魔物はすごい衝撃で樹の幹に叩き付けられ、そのまま樹を伝ってずるずると滑り落ち、地面に倒れた。
 一息ついた沙綾の全身から力が抜け、膝から崩れ落ちる。

「沙綾ちゃん!」

 呆然と見ていた観月が沙綾に駆け付けた。浅く呼吸を繰り返す沙綾の、魔物に噛まれた右腕からは、血が止め処なく流れている。
 腕から流れた血液は重力に従って下に滴り落ちて行き、指先から落ちて地面を赤く染めていた。

「沙綾ちゃん、ごめ、ごめんなさい。私……!」
「観月、大丈夫。大丈夫だ」

 怪我をしていない、既に元の姿に戻っている沙綾の左手が観月の頭の上に乗せられる。そのまま優しく頭を撫でた。

「観月は大丈夫か?」
「だい、だいじょうぶ。だけど、沙綾ちゃんが」

 右腕から血を流しながらも冷静な沙綾とは反対に、観月は冷静さを完全に失っている。観月は沙綾の右腕から流れる血液から、目を離せずにいた。
 それを察した沙綾が、先程と変わらない優しい声色で観月に話しかける。

「観月」
「ごめんなさい、私、何も」
「観月」
「ごめんなさ」
「観月!!」

 びくり、と観月の肩が大きく跳ねた。そこでようやく沙綾の右腕から視線が離れ、観月と沙綾の視線が交わる。
 観月の呼吸は乱れ、肩は上下に大きく動いている。沙綾も呼吸は正常のものよりも乱れてはいるものの、先程よりも落ち着いていた。

「アタシは生きてる、大丈夫だ」

 ゆっくりと、子供に言い聞かせるようにまっすぐ観月の目を見ながら、沙綾は言う。
 観月は沙綾から視線を外して、少し視線を泳がせた。観月の顔が段々と下を向いていく。
 沙綾が左手を観月の頭の上から下ろし、観月の手に添える。観月はそこでようやく正気を取り戻したように、沙綾の目を見た。先程偶然交わった時とは違い、しっかりと焦点は合っている。
 急に観月や沙綾の周りに生えていた茂みがガサガサと大きな音を立てて揺れた。また魔物が襲ってくるのか、と観月と沙綾が咄嗟に周囲を見回すが、茂みを揺らす音源は二人から離れていく。
 そこで、観月と沙綾の声を聞きつけてか、透真と竜斗がやってきた。

「早田、入江! 無事か」
「観月! 沙綾!」

 駆けつけてくる二人の様子からして、先ほどたくさんの茂みが一斉に揺れ出したのは、おこぼれを預かろうとする魔物の進撃が止まったのだろう。

「あ、私……より、沙綾ちゃん、が」

 ようやく平静を取り戻した観月の声が震え始め、観月の視線が沙綾に向く。
 観月の視線に続いて、透真と竜斗の視線が観月から、沙綾の右腕へと向いた。透真と竜斗の動揺が観月に伝わり、その原因が自分である事への申し訳なさから、観月の顔が再び地面に向く。
 しかし、沙綾は何でもないと言うかのように笑って見せた。

「ん、まあ大したことはないよ。かすり傷みたいなもんさ」
「かすり傷、って……」

 そんなもんじゃないだろ。そう言いたげな透真の視線を涼しい顔でかわす沙綾が、自身の左手の爪を能力で毒爪に変化させる。そしてその爪を躊躇なく右腕に打ち込んだ。

「っお前何してんだよ!?」
「応急処置?」

 沙綾の様子を見た透真の慌てた質問に、沙綾はへらりと笑って返した。少しして、爪を引き抜く。
 沙綾の様子を見ていた竜斗が、意味を察したように自身の両腿あたりに着けている小さなポーチから包帯を取り出すと、沙綾の右腕の傷より上、右肩の部分から手際よく巻いていく。

「これでいいか」
「おう、大丈夫。悪いな」

 加減を聞く竜斗の質問に答える沙綾の顔は、やはり落ち着いている。
 竜斗は沙綾の様子を一通り見ると、小さく頷いた。

「……先ほど魔物が一斉に逃げ出したということは、向こうの戦闘が終わったんだろう。さっき演習終了の合図も上がった。何事もなかったならそれに越したことはない。先輩方を待つ」

 沙綾の傷が騒ぐほど深手ではない事を確認した竜斗が立ち上がり、三人に指示を出す。
 三人もその指示に頷くと、透真と観月がまず立ち上がった。立ち上がる際に能力の反動で起きている眩暈によって、観月は少しふらついたが、三人には気付かれてはいないようだ。観月が一人安堵の息をつく。
 二人に続いて沙綾が立ち上がろうとしたが、竜斗が片手を出し、止める。

「入江はまだ座ってろ」
「悪いね、迷惑かけて」
「そういう事もある。今回は俺の判断ミスだ」

 チーム名決まらんが走っていった方向を見ながら、ぶっきらぼうに言う竜斗に、沙綾が薄く笑った。笑う沙綾の右腕に自然と視線が吸い寄せられ、観月自身も、観月の心も下を向く。
 そこでようやく、観月は自分の呼吸が浅く、乱れている事に気付いた。自分自身を落ち着けるように、深く呼吸する事を意識する。

「観月は何ともないんだな?」
「大丈夫……沙綾ちゃんが、助けてくれたから」

 助けてくれたから。自分で発した一言が、観月の心の中に響いて、抉っていくのを感じた。
 助けられてばっかりで、それが嫌で少しずつ進めようと決意したのに、このざまはなんだ。今までは助けてくれる透真も無事でいたけれど、今回はそうはいかなかった。沙綾に怪我をさせてしまった。
 不甲斐ない自分への悔しさ、悲しさ、嫌悪感、憎悪、様々な感情が観月の胸の中で渦巻いていく。
 呼吸を落ち着かせようと頭は意識しているからか、段々と観月の呼吸は正常に戻っていくものの、心の中のものは黒く、黒く染まっていくようだった。
 ふと、何かが近づいてくるような音を耳に捉えて、そちらを向く。観月以外の三人は気づいていたようで、既にそちらの方を向いていた。
 竜斗が右手を上げて、振る。
 こちらに近づいてきているのが先に見えたのはチーム名決まらんの朝陽とレイラのようだ。さらに後ろの方に目を凝らしてみると、他に八人の人影が見えた。

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